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モラハラ妻と離婚した男性たちが後悔している理由

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  1. 匿名より:

    数年前にモラハラ妻と離婚した経験がありますが、それによって家事などを一人でやらなければならないといった不便さを今も身に染みて感じてきますが、なんといっても一番応えたのは孤独です。

    いくらモラハラに対して立腹していても、誰かがいつもそばにいるだけで守られているというような安心感があったのも事実です。ですが離婚したことで皮肉にもそのありがたさに気づかされ、それからずっと後悔の念に苛まれています。

    私の場合は、家事などは率先して手伝うようにしていましたが、洗濯物の畳み方、掃除の仕方、料理の味付けに対する文句までも辛らつに言われ、それがストレスとなって心の中で蓄積していきました。それがある日爆発してしまい、それが離婚につながってしまったのですが、本当に別れてもいいのかともう少し冷静になって考え直せばよかったなと今となっては強くそう思います。

    目の前のことばかりにとらわれず、先のこと、離婚したあとどうなってしまうのかなどもきちんと頭の中で整理することの大切さが教訓となって身についた気がします。なので、離婚してしまう状況になってしまったときは今一度冷静になって考えを巡らせてみることをおすすめします。

  2. 匿名より:

    コロナが流行する前に入籍をし、東京在住の自分は遠距離だった大阪に住んでいた元嫁の地域で同居することになりました。結婚当初は喧嘩もなく、理想の結婚生活を過ごしていましたが、しかしコロナが流行してから元嫁の言動が一変し洗濯や食事など一緒のいる時間の自分の言動に腹を立て始めました。

    そこから、喧嘩する毎日で数か月で別居生活を始めました。別居生活が進んでいき、元嫁の両親も自分に対し人格を否定するような発言を浴びさせられました。そこで、お互いに離婚をする方向に至りました。

    モラハラを受けている間は、相手の言葉を真っ直ぐに受け止めてしまい、真剣に考えこんでしまいました。そこで、自分も相手の言動などが目につくようになりました。

    しかし、コロナで生活習慣が一変しお互いにストレスなどを感じている中で、これまで楽しかった結婚生活をなかったようにお互いに話し合う間も作らずに一方的な感情で気づ付けあってしまいました。

    結論は、モラハラをしていた元嫁にも元嫁の考えや心の余裕などがない状況など自分が考慮する必要があり、結婚する中でお互いが尊重でき、話し合える関係を結婚生活が浅いからこそ努力して築き上げる必要があるように思います。

  3. 匿名より:

    私が後悔している理由は、妻に寄り添えばよかったことです。

    基本的妻とはあまり会話がなく、LINEでの会話(モラハラ発言)がほとんどでした。何か言い返されるんじゃないかと思い直接、物をいう事ができなくなってました。

    モラハラ内容としては、掃除ができていない!洗濯物のかける範囲が広い(自分のは自分で洗濯して部屋干ししてました)など事あるごとに、文句のLINEが来ていました。そのくせ、妻は掃除もせず、全部私にやらそうとしていました。私がやるまで一切放置です。

    逆に言い返したら、自分も完璧に出来ていないのに口答えするな!と怒ります。段々萎縮してしまい、妻と目も合わす事も、なくなりました。そんな生活が我慢できなくなりついに離婚する事になりました。

    昔は仲良くて、理想の夫婦だったのに何でなんだろ?と離婚後考える日々が始まります。もし、あの時しっかり話あえていたら、寄り添って話を聞いて、それは違うんじゃないの?って2人で会話していたらこんな事になっていなかったと思います。

    やはり普段からのコミュニケーションってとっても必要なんだと思います。いかにストレスなく、お互いの気持ちを伝えるかがモラハラから乗り換える秘訣じゃないのかなと今の私は思います。

  4. 匿名より:

    結婚、長い時間これから信用や相談・共に生活していく上でお互いの不満も持ちながら認め合って共同生活をしていく事。

    結婚に至るにあたって、出来る事ならばこの事はしておけば良かったと後悔している事は籍を入れる前の同棲生活と思います。

    自分は仕事が忙しく、お互い社宅賃貸を借りていた為同棲を望みましたが、結婚をするまではお互い会社の賃貸の方が良いという理由で別々に暮らしておりました。
    多少の口喧嘩もありましたが、休みも合わない為数年の付き合いもありましたが一緒にいる時間は少ない中で年齢もお互い30代後半もあり、結婚の流れになりました。

    4年前に妻と1年以内の結婚生活を経て離婚致しました、理由は相性の不一致からの流れでしたが一番の原因はモラハラでした。
    こちらは家族がいない1人、元妻側はまだ結婚をしていない兄弟含めた大家族。何か不満があると、些細なケンカからをした後実家に呼び出し全員の家族会議で元妻の主張を怒鳴り散らし、6対1の状況を作り上げられておりました。

    子供もいた為、そこは耐えておりましたが今までの仕事の事、自分の実家の事など苦労してきた事などにも不満やこうしろと意見ぶつけてきた事からの離婚の経緯に繋がりました。

    相手側も1度目の出て行く時は養育費・婚姻費用等を請求すると出て行き、2度目は10か条位のこちらに対する今後結婚生活をする上での要求、3度目は何かを叩きながらの電話等精神的に熱くなるタイプの方でした。裁判にまでなり離婚をし、全てお金の面は相手側の弁護士の主張で決着がついたという形でした。

    結婚してから見える一面、お互いそれが良い部分でも悪い部分でもその悪い部分が強い人と生涯生活をして自分を押し殺さなければならないと考えると、モラハラに限らずパワハラも同様自分生涯を大切にしたいと思わなけばと感じました。
    個々それぞれの考えですが結婚は同棲…付き合いだけではなく、共同の生活を経てから決めるべきと、もし将来再婚を考えた際にと思っております。

  5. 匿名より:

    離婚しても子供達とは面会出来ると思い決断した。

    しかし、調停中に面会に関して何も言っていなかった元嫁がいざ離婚して子供達との面会を依頼すると(あれはダメ!これは止めて!それは許可出来ません!)と後から色々と注文を付けてきてなかなか思うように面会出来ないでいる。

    無理矢理でも行うとまた機嫌が悪くなって子供達に怒りをぶつけて俺が受けてきたモラハラを子供達に行うのは想像出来る為、子供達の事を考えると可哀想で面会自体も依頼するのも躊躇してしまい言い出せなくなっている。

    結局は離婚して生活が離れ離れになっても、以前と変わらずモラハラを受けている事に対してこの離婚は間違いだったのではないかと後悔している。

    生活が離れ離れになって自分だけが少し気持ちが楽になっただけで、子供達に悲しい思いや迷惑をかけてしまってるのが現実。自分本意な決断で子供達や親、兄弟に気を遣わせ迷惑をかけている事に後悔の念しか出てこない。

    またこのコロナ禍も重なり子供達との面会も自粛しているために会えないことが辛く思うため後悔している。

  6. 匿名より:

    モラハラ嫁と離婚して1か月。
    始めはようやく自由になれたと幸せいっぱいでした。
    しかし、時が経つにつれて段々と静かな環境が寂しいと感じるようになってきたのです。
    一緒に居るときは怖いと思うほどでした。
    しかし、あの文句が聞けなくなった途端に急に寂しさを感じるようになったのです。
    もう少し我慢しておけばこんな寂しい思いをしなかったのではと後悔しています。

    離婚して気が付いたのですが私は寂しがりな性格です。
    そしてあんな嫁でしたが頼りにして依存していたのだと思います。
    だから一人になって嫁の居ない生活が苦しくなってきたのだと思います。

    よく考えてみれば20年の結婚生活。
    いつも罵声を浴びせられていましたが陰で支えてくれていたのも事実です。
    私が困ったときは助けてくれていました。
    そんな優しさを忘れるほどモラハラが酷く悩んでいたのも事実です。

    どうするのが正解だったのかは判りません。
    今は寂しい思いで一杯です。
    この選択が正解だったのか不正解だったのかは今後の私次第。
    幸せになるためにこの思い出を胸に一歩ずつ歩き出してこそ答えが出るものだと思っています。

  7. 匿名より:

    見合いを経て一年程度のお付き合いの後、モラハラ妻と籍を入れました。
    しかしその辺りから、彼女の私に対する態度が変わりました。

    彼女は幼少の頃、亡くなった実の父親から虐待を受けていたと思われる話があり、本人からもその事は聞いていましたが、彼女はその父親に似たのかよそ行きの態度をやめた途端モンスターになりました。

    始まりは同居の2日目は私がお風呂から上がった際にたまたまシャワーの温度設定をお湯に戻し忘れた時です。後から入った元妻が裸で飛び出してきて、その事を私に対し10分以上罵倒し続けました。たまたま忘れた事を謝っても聞いてくれませんでした。
    そこまで怒る事なのかとも言いましたがダメでした。

    そこから元妻は私の生活に対しおかしな制約を掛けるようになりました。元妻は朝が弱いというのと私は出勤が早いから6時に起きて朝食を準備していると、トースターやレンジの音、果てはシンクに水を流す音すら気に触ると怒鳴られ、朝にこれらの道具が使うことを禁じられました。そこからは朝食は味気ない食パンと牛乳だけになり、朝の準備も音を殺してするようになり、トイレすら気を使う事になりました。
    私は朝の弱い人の気持ちがわからないので謝ったのですが、その時は反省して歩み寄ろうとぐっと堪えました。
    環境が変わってストレスが大きいから、彼女も過敏に反応しているだけだと思う事にしました。

    そしてその日の夜、夕食が終わり、私は炊事は苦手だが出来る事はやると始めに伝えていたので、食器洗いと洗濯は率先してやっていました。
    それが終わりテレビを見ている妻の隣に座ろうとしたら、私そういうの嫌だからと言われて寝室に篭っていまいました。私はただ隣に座りたかっただけでそれ以上のスキンシップを求めるつもりはありませんでした。
    寝る前にそれを話しても聞いてくれませんでした。
    ここまで同居3日の出来事で、私に嫌な面があるのだとしても見限るのがあまりにも早すぎないかと理解できませんでした。
    そこから彼女はどんどんエスカレートし、貴方にときめかないから私から愛する事は無い。貴方に優しくすると付け上がるから優しくする価値は無いなどの発言を同居して一週間足らずで言われ続けました。
    私はまだ、彼女とうまくやる方法はあるはずだと信じて、本人に相談したり歩み寄ろうと何度もしましたが、毎回人格否定に近い返事を返され続けました。
    そしてスキンシップや夫婦の夜の生活も拒否され続け、存在そのものを否定され続ける私は状況がどんどん理解できなくなっていきました。

    付き合っている時は、こんな態度を見せなかった彼女が本当に同一人物には思えなくなっている事もありました。
    それでも彼女は外に出ると、付き合っていた頃の優しい雰囲気に戻るので、もしかしたら今は生活環境が変わったからもう少し我慢すればと思い続けました。

    しかし、毎日罵倒される中で彼女に私は「そこまで憎い相手と何で結婚したのか教えてくれ」と言いたいのをずっと堪え続けていました。あの時はこれを言えば全てが終わると思っていたからです。今思えば、始まってすらいなかったのに。

    彼女と同居して、2ヶ月が経ちました。
    その頃の私完全に彼女の言いなりになっており、彼女の顔色を伺う生活が当たり前になりました。
    彼女のいる家に帰りたく無くて、会社でギリギリまで時間を潰しました。そしてある帰宅途中に吐いていました。そして泣きました。
    私は何をしてるのか情けなくなり、夢見た結婚生活と現実は大きく違うが、我慢すれば良くなると信じて堪えていました。
    しかし、その日の夜がとどめになりました。

    彼女は私が帰るや否や、一週間後の結婚式の費用私も出すって言ってたのに何でまだ何の手配もしないのと言ってきました。
    そんな話は初耳で、コロナ禍の身内のみの式だから結納金を元妻の家が受け取らない代わりに、私の家が負担するという事で両家が納得していたはずでした。
    それを言っても、彼女は話にならず私は仕方なく実家に電話して事情を話したところ、父が彼女に話をキチンと聞きたいので代わってくれないかという事になりました。
    それで彼女にそちらの家の考えをキチンと伝えて欲しいと話すと、彼女は泣いてそれを拒否し何で私を守ってくれないのと怒り出しました。
    それでも大事な事だから、話して欲しいと伝え、渋々電話に出た彼女の話を聞いて父は彼女を説得してくれました。
    そして電話が終わってからが、本当の地獄の始まりでした。

    彼女はその後、私の家族を罵倒し続けました。
    そして寝室に篭ると私にわざと聞こえるように、彼女は自分の家族に電話をし始め、私には結婚式のお金を払わせてくれない、あいつは私を自身の親の身勝手から守らない情けない男だ、新婚なのに甘い雰囲気にならなくてイライラするなど、聞いているだけでその場で倒れそうになりました。

    私はその場にいる事が、できなくなり家からから飛び出すと、そのまま車を走らせて実家に転がり込みました。
    急に帰った私を見て両親は驚いていましたが、私はその顔を見た途端、涙が止まらなくなりその場で子供のように大声を出して泣きました。
    事情を知った両親は、相手の家にはこちらからも連絡する。結婚式もやらなくて良いからすぐに別れる準備をしろと言ってくれました。

    その後、彼女とは慰謝料もなくたった数ヶ月の結婚生活は離婚という形で終わりました。
    別れて2ヶ月が経ちますが、何故、ここまでおかしな人間を見抜けなかったのか今でも後悔すると共に、眠っている時に彼女の仕打ちがフラッシュバックして目が覚める事があります。
    そして、周囲を巻き込んで迷惑をかけてしまった事や、使わなくて良い大金を出費した事などをとても申し訳なく感じています。

    でも、やはり一人は寂しいと道ゆくカップルや夫婦を見ると思ってしまう自分もいます。
    自分はあんな未来を手に入れられなかったけど、まだ希望を持って良いのかなと自問自答しています。
    今回の事を糧として、良い未来を歩めるようにしたいです。

  8. 匿名より:

    長文失礼します。
    まだ離婚はしていませんが、モラハラ妻との熟年離婚を思案しているときにこちらのサイトへたどり着きました。
    妻のモラハラの始まりは15年ほど前に遡ります。
    思い返せばキリがありませんが、ターゲットは私への暴言や人格否定と私の親族への文句が主なものでしたが、子供たちに対しても成績が振るわないときや妻の思うような行動ができないと、明らかに躾を通りこした口調で罵声を浴びせるなど、家庭内でのパワーバランスは妻一人に大きく片寄っている状況です。
    妻はそのことを「自分一人が頑張って家を切り盛りしているのだから感謝して」と私に迫り、また何か気に入らない事があると私の仕事時間中にも関わらず電話をしてきて文句を言うなど、高圧的な妻にだんだんと言い返すことも出来なくなり、気がつけばいつも妻の顔色を窺いながら暮らす様になっていました。
    当時はモラハラという言葉を知らず、どうにかして妻が平常心でいられるように自分が変わらなければと自問自答をしていましたが、妻のヒステリックや高圧的な言動は変わらいことから自分はそんなに情けない男なのかと自己嫌悪に苛まれ、辛さから帰宅するのが怖くなり、意味もなく外で時間をつぶす様になっていました。

    あまりにも八方塞がりな状況に、子供が小さい頃に離婚も考えました。
    これは私の独りよがりな考えかもしれませんが、その時に「いま私がいなくなればこの子たちの逃げ場が無くなってしまう」と思い、また経済的に学業や部活動で肩身の狭い思いを強いらせてしまうと私が後々必ず後悔すると判断し、そこからは自分自身割り切れる様になり、妻からの態度も消化し続けて今日に至っています。

    数年前に子供たちの進学の事情で妻と子供たちは遠方に引っ越すこととなり、私は仕事があるため一緒には引っ越せず、現在は実家で間借りさせてもらっています。
    その子供たちも一人は既に就職し、他の子もあと数年後には巣立って行く予定です。

    先日、妻から話がありまして、子供たちが巣立ったあと自分はどうしたらよいかわからないが、私と妻がレス状態なことや私からは愛情が感じられないから、こんな熟年生活は嫌だから私に改心してほしいとの要望でした。
    そこで私も以前からずっと気になっていた、実家の両親とのことについて話してみました。
    妻はもう15年以上私の実家へ全く近寄ろうとしなかったため、そのことを改善してほしいということを伝えました。
    いろいろ言われましたが、一言でいうなら私の両親が悪いということでした。
    あと私からの愛情がないことを先に改善してくれと、実家に行くのはそれから考えるという返事でした。
    妻自身は全く悪くもなく落ち度もないのに、なぜこんな扱いをされなければいけないのかと、結局はまた私や周囲の文句ばかり言ってきます。

    子供たちが巣立って行った先、私は妻と穏やかに暮らせるイメージが全く湧きません。
    成人した子供たちが最近になって、小さい頃は到底言えなかったであろうモヤモヤとしていた胸の内を私に話してくれました。
    娘からは「私、小中高と一度も友達の家に遊びに行けなかった。これって最近まで当たり前のことと思っていた。」と聞かされ、私は思わず涙が出てしまい娘に謝罪しました。
    何故かはわかりませんが、妻は子供たちが友達と遊ぶことをあまり良く思っていませんでした。
    おそらく優秀な子意外とは接触させたくないという意図からだと思います。
    どの子も早く母親から離れたい意思が見受けられ、父親としてその様な思いをさせてしまっていることをとても申し訳なく感じています。

    最近、モラハラというものを知り、おそらく妻はこれに該当します。
    妻が抱いている先々の虚脱感についても、周囲が悪いと言い張っているとこから察すると、この自己中心的で自分を顧みない性格は治らないと思います。
    あと2年後には子供たちは母親から離れていきますので、それまでに私もどうするべきかを考えていきます。

    カテ違いかもしれませんが、投稿させてもらいました。
    長文、失礼しました。

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Posted by タケ