PR 産後クライシスで離婚した人たちが後悔している理由ディスカッションコメント一覧匿名より:産後クライシスによる離婚を後悔している1番の理由は、子供になぜお父さんがいないのか説明をするときがきたときに、なんと答えればよいかわからないからです。1年前に元夫の育児に参加せず頻繁に遅くまで飲みに行っていたこと、休日に子供と接しない態度に私が腹を立てて産後クライシスになり家を出て、家庭裁判所に調停を申し立てて離婚しました。離婚は子供が1歳の時で、現在子供は2歳8ヶ月になります。絵本を読んでいるときによくお父さんお母さんが出てくる話があるとお父さんが何かわかっていない娘を見るとどうしていいか分かりません。そろそろなぜお父さんがいないか聞いてくるかもしれないと思うと悩みますが答えが見つかりません。なぜお父さんがいないのか、お父さんは今どこにいるのか、お父さんは何をしているのか、子供が大きくなればなるほど娘が悲しむのではないかと思うと後悔をしてしまいます。産後クライシスになった時、元夫のことをこの人がいない方が良いと思いましたが、今感じる事は「どんなに必要ないと思っても、別居していても、夫婦の形を続けていけばよかった」と言うこと。産後クライシスでどんなにイライラしても、とりあえず別居しててもすぐに決断せず1年でも2年でも悩みに悩んで決断した方が良いと思います。子供のために。返信匿名より:産後は気持ちが安定せず、自分が育児が大変だということにだけ目が向いてしまい離婚してしまいました。毎日子どもと一緒にいるだけで誰かと話すことも出来ず、相談することもせずに決めてしまいました。相手は仕事をしてくれているということに目を向けられませんでした。家事、育児を手伝ってくれないことに納得できず、この結婚は失敗だと思い離婚してしまいました。新生児の時期は毎日3時間おきに起きて授乳をしていました。深夜の授乳を変わってほしいと頼んでいましたが、もし自分が働いている立場だったら辛いと思います。次の日仕事なのに深夜に起きて授乳をしてって考えたら相当厳しいです。まとまって寝る時間が欲しかったのなら、相手が帰宅してから寝るまでの時間にお願いして自分は寝ておけばよかったんですよね。また、自分の実家は母親からの過干渉が原因ですぐに里帰りをやめてしまいました。これも自分の気持ちだけで相手に負担が掛かるということを考えていませんでした。これから先本当に父親は居なくて大丈夫なのか?相手はどう思っているのか?よく話し合って今だけを見るのはやめた方がいいと思います。返信匿名より:今、振り返り考えてみると産後クライシスに陥っていたと思います。子供が生後4ヶ月で離婚をしました。子供が産まれてから2ヶ月里帰り出産で実家に帰っていましたが、毎週土日は来てくれていましたが慣れない育児、初めての育児で余裕もなくいつもイライラしていました、また実母と元旦那との関係も良くなく、そのことも私をイライラさせる要因でもありました。夜中の授乳などで寝不足なのに隣で寝ていたり、自分の趣味を優先したりとにかく行動全てに嫌気がさしていました。彼なりに一所懸命してくれていましたが、私が産後うつになっていたと思います、あちらの家も義母、義妹と同居で私のストレスはピークに達してしまいました。実母ならまだ素直に甘えれますが、あちらの家に帰っても誰も味方がいなくどんどん疎外感を感じました。元旦那も自分の実家だと強くなるのか味方してくれませんでした。そのうちにだんだん気分が落ち込み、喪失感に苛まれるようになりました。そしてそんな時に家で大喧嘩になり、感情を抑えれず手が出てしまい、義母、義妹も巻き込んだ喧嘩、そして私も自分の両親に電話をし、迎えに来てもらいました。両家族を巻き込んだ喧嘩になり、次の日に離婚合意書が話し合いもなく送られてきました。喧嘩ばかりでは子供にも悪影響だと考え離婚しました。もう一度きちんと話し合いをしたり子供にとって1番いいことは何か考えたらよかったと後悔しています。きっと産後鬱でその時は正常な判断が出来ませんでした。もう少し余裕があればよかった、思いやりなどがあればよかったと後悔しています。返信通りがかりより:あなたの親がだめですね。返信匿名より:産後クライシスが落ち着いてきた今だからこそ、他に方法はあったのではないかなと思う。元々交際期間も短い上に授かり婚だった。その当時私は転職したばかりだったし、元夫は仕事はしていたものの、収入は一馬力ではとても無理な状態だった。その為赤ちゃんが出来た喜びに浸る事も出来ずに、お金の心配ばかりで頭がいっぱい。出産後も3ヶ月で職場復帰した。しかし、可愛い可愛い盛りの、ずっと眺めていても飽きない子どもを預けてボロボロの体で仕事をし、職場のトイレで泣きながら母乳を絞って捨てる毎日で、私の心はだんだんと壊れていった気がする。今思えば、貯金がなかった訳ではないのだから、仕事をいったん辞めるとか、フルタイムではなくパートに切り替えて、自分と家族との時間を大切にする選択肢もあったと思う。しかし、その時の私にそれは選べなかった。その悲しみ、苛立ち、悔しさなどは全て元夫へと向かった。ささいな言動にイライラして、怒ったり無視したり睨んだり…今でも許せない事はあるが、だいたいの事は、私に気持ちの余裕があればそんな態度にはならなかった気がするし、私の態度が落ち着いている時は普通に話して笑って過ごせていた。私はあの頃、全て元夫が悪いと思っていた。もちろん今でも納得出来ないところもある。しかし夫、父親になろうとしていた人との人生を切り離して、子どもからは父親との当たり前の日々を奪う程の罪が、元夫にあったのだろうか?と思うと、最近は分からなくなる。産後クライシスは、冷静な判断は出来ない。周囲の助言も耳に入らなかったりする。離婚は長い人生の中の大きな決断。結果的には離婚していたかもしれないが、冷静な判断の出来ない状態で重大な決断をしてしまった事を少し後悔している。返信匿名より:当時は産後クライシスで旦那が受け付けなくなり、私から一方的に離婚をして欲しいの一点ばりでした。しかし今となっては、金銭面にも1人で2人の生活費は苦しいですし、やはり周りの子には父親がいるのにうちの子にはいないと言うのが可哀想で心苦しくなる時が度々あります。私が産後クライシスにならなければ…もっと元旦那に甘えれていたら、もっと寄り添っていればと今は後悔の日々です。1人で子供を育てるということの大変さ、この先どうなるんだろうと言う不安は常にあります。産後クライシスになっても早まらないでください。時間が解決し、夫婦で話し合えば解決することなんて沢山ありますよ。自分の事より、子供の事を1番に考えてあげてください。やはり子供には父親、母親がそろっている方が幸せな事が多いと思います。私の体験談から言える事。それが上記の事ですね。ただ、自分を責めたりもしないでください。産後クライシスは誰にでもなり得る事ですからね。返信匿名より:産後の情緒不安定の中で、勢いや感情が極まって離婚したものの、離婚後の1人親だけでの子育てが本当に大変で、「あんな旦那でも手を借りたい」と思う瞬間がたくさんあるからです。片親になれば、もちろん1馬力になりますから、自分が働くしかありません。 出勤前も子供の世話や食事、保育園への送り出しを1人ですべてこなし、この時点ですでにへとへとになりながら職場へ出勤し、朝から夕方までフルタイムで働いたら、その足で子供のお迎えに行き、帰宅する。帰宅したら、座る間もなく夕食の準備や子供の世話、食事を食べさせ、食器を洗い、お風呂に入れ、寝かせる。寝かせた後も、自分と子供の明日の支度をし、家事が残っていたらそれをこなさなくてはならない。1日中ずっと働き詰めでクタクタになり就寝したら、また朝が来て同じクタクタの毎日が始まる。仕事のない日も子供の世話は全て自分でしなくてはならず、休みが休みにならない。そんな毎日が永遠と続くと思うと、気が遠くなります。そんなときに、ああ、あんな旦那だったけど、私が我慢して、子供と自分のために妥協して、別れなければよかったのかな。こんなにしんどい思いをするなら、あんな旦那とでも離婚せずにいたらよかったのかな。と後悔するときがあります。返信匿名より:あんな旦那とか言っている時点でダメだな。返信あーこ。より:私も産後クライシスと産後鬱です 第二子妊娠中に元夫の会社が倒産なかなか仕事がきまらないお腹はだんだん大きくなっていくもうその時点で仮面鬱になっていて元夫いない長男がお昼寝をしたら誰にも言えず不安で不安涙が止まりませんでしたあと1ヶ月で次男が産まれのに元夫の仕事が決まらず私は土下座をしてお願いします働いてくださいとうったえましたが無駄でした 次男が無事産まれて2ヶ月元夫は何とか仕事についたのですが3日で私の実家に来て仕事を辞めると言ってどこかへ行ってしまいました今考えると多分パチンコ私はショックで鬱になってしまいました全てのタイミングが悪かったのでしょうかマイホーム建築中長男は4月から幼稚園そんな事が重なってそうなってしまったのです環境も変わり私の病状は悪くなりだんだん元夫はパワハラモラハラもう一本の線がある切れましたお金の事で私が一方的に元夫にお金返してと言ったら雑にわたしの手も見ないでお金を返しましたもちろん手から滑り落ちて 地べたにそのとき あ もう我慢しなくてイイと気づきましたごれが元夫だつたら手をあげられてます こうして22年間結婚生活を終えました でも一言 言えるのは離婚は二人とも悪いです 元夫には家族を支えて 私は元夫のフォローをしてだのですが 元夫は自分なりに家庭を養ってくれたのはありがたかっです それ以上望んだからいけなかったのかもしれません ごくたまに子どもを引き取れなかったのであと少し我慢すればと思いますが そんな私の気持ちが分かるのか次男はお母さんあのままお父さんと居たらお母さん壊れてたよと一言涙が止まりませんでした 子どもはちゃんとみてます成長してます 十分子どもに愛情たっぷりに育てた証拠だと 自分で自分を恥じかしながら実感しました 心療内科の先生も論文に書いてもイイかなと言われるぐらいメンタルは回復 時間は短いのですがパートで働いています 子どもはちゃんと親を見てます 離婚と言う選択肢がある事を忘れないで 子どものために離婚するのです 私の場合はそうして正解でした返信コメントをどうぞ コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。※ が付いている欄は必須項目ですコメント名前メールアドレスウェブサイト日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策) 離婚Posted by タケ
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産後クライシスによる離婚を後悔している1番の理由は、子供になぜお父さんがいないのか説明をするときがきたときに、なんと答えればよいかわからないからです。
1年前に元夫の育児に参加せず頻繁に遅くまで飲みに行っていたこと、休日に子供と接しない態度に私が腹を立てて産後クライシスになり家を出て、家庭裁判所に調停を申し立てて離婚しました。離婚は子供が1歳の時で、現在子供は2歳8ヶ月になります。
絵本を読んでいるときによくお父さんお母さんが出てくる話があるとお父さんが何かわかっていない娘を見るとどうしていいか分かりません。そろそろなぜお父さんがいないか聞いてくるかもしれないと思うと悩みますが答えが見つかりません。
なぜお父さんがいないのか、お父さんは今どこにいるのか、お父さんは何をしているのか、子供が大きくなればなるほど娘が悲しむのではないかと思うと後悔をしてしまいます。
産後クライシスになった時、元夫のことをこの人がいない方が良いと思いましたが、今感じる事は「どんなに必要ないと思っても、別居していても、夫婦の形を続けていけばよかった」と言うこと。
産後クライシスでどんなにイライラしても、とりあえず別居しててもすぐに決断せず1年でも2年でも悩みに悩んで決断した方が良いと思います。子供のために。
産後は気持ちが安定せず、自分が育児が大変だということにだけ目が向いてしまい離婚してしまいました。
毎日子どもと一緒にいるだけで誰かと話すことも出来ず、相談することもせずに決めてしまいました。相手は仕事をしてくれているということに目を向けられませんでした。家事、育児を手伝ってくれないことに納得できず、この結婚は失敗だと思い離婚してしまいました。
新生児の時期は毎日3時間おきに起きて授乳をしていました。深夜の授乳を変わってほしいと頼んでいましたが、もし自分が働いている立場だったら辛いと思います。次の日仕事なのに深夜に起きて授乳をしてって考えたら相当厳しいです。
まとまって寝る時間が欲しかったのなら、相手が帰宅してから寝るまでの時間にお願いして自分は寝ておけばよかったんですよね。
また、自分の実家は母親からの過干渉が原因ですぐに里帰りをやめてしまいました。これも自分の気持ちだけで相手に負担が掛かるということを考えていませんでした。これから先本当に父親は居なくて大丈夫なのか?相手はどう思っているのか?よく話し合って今だけを見るのはやめた方がいいと思います。
今、振り返り考えてみると産後クライシスに陥っていたと思います。子供が生後4ヶ月で離婚をしました。
子供が産まれてから2ヶ月里帰り出産で実家に帰っていましたが、毎週土日は来てくれていましたが慣れない育児、初めての育児で余裕もなくいつもイライラしていました、また実母と元旦那との関係も良くなく、そのことも私をイライラさせる要因でもありました。
夜中の授乳などで寝不足なのに隣で寝ていたり、自分の趣味を優先したりとにかく行動全てに嫌気がさしていました。
彼なりに一所懸命してくれていましたが、私が産後うつになっていたと思います、あちらの家も義母、義妹と同居で私のストレスはピークに達してしまいました。
実母ならまだ素直に甘えれますが、あちらの家に帰っても誰も味方がいなくどんどん疎外感を感じました。元旦那も自分の実家だと強くなるのか味方してくれませんでした。
そのうちにだんだん気分が落ち込み、喪失感に苛まれるようになりました。
そしてそんな時に家で大喧嘩になり、感情を抑えれず手が出てしまい、義母、義妹も巻き込んだ喧嘩、そして私も自分の両親に電話をし、迎えに来てもらいました。両家族を巻き込んだ喧嘩になり、次の日に離婚合意書が話し合いもなく送られてきました。
喧嘩ばかりでは子供にも悪影響だと考え離婚しました。
もう一度きちんと話し合いをしたり子供にとって1番いいことは何か考えたらよかったと後悔しています。
きっと産後鬱でその時は正常な判断が出来ませんでした。もう少し余裕があればよかった、思いやりなどがあればよかったと後悔しています。
あなたの親がだめですね。
産後クライシスが落ち着いてきた今だからこそ、他に方法はあったのではないかなと思う。
元々交際期間も短い上に授かり婚だった。その当時私は転職したばかりだったし、元夫は仕事はしていたものの、収入は一馬力ではとても無理な状態だった。
その為赤ちゃんが出来た喜びに浸る事も出来ずに、お金の心配ばかりで頭がいっぱい。出産後も3ヶ月で職場復帰した。
しかし、可愛い可愛い盛りの、ずっと眺めていても飽きない子どもを預けてボロボロの体で仕事をし、職場のトイレで泣きながら母乳を絞って捨てる毎日で、私の心はだんだんと壊れていった気がする。
今思えば、貯金がなかった訳ではないのだから、仕事をいったん辞めるとか、フルタイムではなくパートに切り替えて、自分と家族との時間を大切にする選択肢もあったと思う。
しかし、その時の私にそれは選べなかった。その悲しみ、苛立ち、悔しさなどは全て元夫へと向かった。
ささいな言動にイライラして、怒ったり無視したり睨んだり…今でも許せない事はあるが、だいたいの事は、私に気持ちの余裕があればそんな態度にはならなかった気がするし、私の態度が落ち着いている時は普通に話して笑って過ごせていた。
私はあの頃、全て元夫が悪いと思っていた。もちろん今でも納得出来ないところもある。しかし夫、父親になろうとしていた人との人生を切り離して、子どもからは父親との当たり前の日々を奪う程の罪が、元夫にあったのだろうか?と思うと、最近は分からなくなる。
産後クライシスは、冷静な判断は出来ない。周囲の助言も耳に入らなかったりする。離婚は長い人生の中の大きな決断。結果的には離婚していたかもしれないが、冷静な判断の出来ない状態で重大な決断をしてしまった事を少し後悔している。
当時は産後クライシスで旦那が受け付けなくなり、私から一方的に離婚をして欲しいの一点ばりでした。
しかし今となっては、金銭面にも1人で2人の生活費は苦しいですし、やはり周りの子には父親がいるのにうちの子にはいないと言うのが可哀想で心苦しくなる時が度々あります。私が産後クライシスにならなければ…もっと元旦那に甘えれていたら、もっと寄り添っていればと今は後悔の日々です。1人で子供を育てるということの大変さ、この先どうなるんだろうと言う不安は常にあります。
産後クライシスになっても早まらないでください。時間が解決し、夫婦で話し合えば解決することなんて沢山ありますよ。
自分の事より、子供の事を1番に考えてあげてください。やはり子供には父親、母親がそろっている方が幸せな事が多いと思います。
私の体験談から言える事。それが上記の事ですね。
ただ、自分を責めたりもしないでください。産後クライシスは誰にでもなり得る事ですからね。
産後の情緒不安定の中で、勢いや感情が極まって離婚したものの、離婚後の1人親だけでの子育てが本当に大変で、「あんな旦那でも手を借りたい」と思う瞬間がたくさんあるからです。
片親になれば、もちろん1馬力になりますから、自分が働くしかありません。
出勤前も子供の世話や食事、保育園への送り出しを1人ですべてこなし、この時点ですでにへとへとになりながら職場へ出勤し、朝から夕方までフルタイムで働いたら、その足で子供のお迎えに行き、帰宅する。
帰宅したら、座る間もなく夕食の準備や子供の世話、食事を食べさせ、食器を洗い、お風呂に入れ、寝かせる。
寝かせた後も、自分と子供の明日の支度をし、家事が残っていたらそれをこなさなくてはならない。1日中ずっと働き詰めでクタクタになり就寝したら、また朝が来て同じクタクタの毎日が始まる。
仕事のない日も子供の世話は全て自分でしなくてはならず、休みが休みにならない。
そんな毎日が永遠と続くと思うと、気が遠くなります。
そんなときに、ああ、あんな旦那だったけど、私が我慢して、子供と自分のために妥協して、別れなければよかったのかな。こんなにしんどい思いをするなら、あんな旦那とでも離婚せずにいたらよかったのかな。
と後悔するときがあります。
あんな旦那とか言っている時点でダメだな。
私も産後クライシスと産後鬱です 第二子妊娠中に元夫の会社が倒産なかなか仕事がきまらないお腹はだんだん大きくなっていくもうその時点で仮面鬱になっていて元夫いない長男がお昼寝をしたら誰にも言えず不安で不安涙が止まりませんでしたあと1ヶ月で次男が産まれのに元夫の仕事が決まらず私は土下座をしてお願いします働いてくださいとうったえましたが無駄でした
次男が無事産まれて2ヶ月元夫は何とか仕事についたのですが3日で私の実家に来て仕事を辞めると言ってどこかへ行ってしまいました今考えると多分パチンコ私はショックで鬱になってしまいました全てのタイミングが悪かったのでしょうかマイホーム建築中長男は4月から幼稚園そんな事が重なってそうなってしまったのです環境も変わり私の病状は悪くなりだんだん元夫はパワハラモラハラもう一本の線がある切れましたお金の事で私が一方的に元夫にお金返してと言ったら雑にわたしの手も見ないでお金を返しましたもちろん手から滑り落ちて
地べたにそのとき あ もう我慢しなくてイイと気づきましたごれが元夫だつたら手をあげられてます
こうして22年間結婚生活を終えました でも一言 言えるのは離婚は二人とも悪いです
元夫には家族を支えて
私は元夫のフォローをしてだのですが
元夫は自分なりに家庭を養ってくれたのはありがたかっです
それ以上望んだからいけなかったのかもしれません
ごくたまに子どもを引き取れなかったのであと少し我慢すればと思いますが
そんな私の気持ちが分かるのか次男はお母さんあのままお父さんと居たらお母さん壊れてたよと一言涙が止まりませんでした 子どもはちゃんとみてます成長してます
十分子どもに愛情たっぷりに育てた証拠だと 自分で自分を恥じかしながら実感しました
心療内科の先生も論文に書いてもイイかなと言われるぐらいメンタルは回復
時間は短いのですがパートで働いています
子どもはちゃんと親を見てます 離婚と言う選択肢がある事を忘れないで
子どものために離婚するのです
私の場合はそうして正解でした